高森俊 インターネット児童画美術館

マーク

 子どもの自由な自己表現を感情の教育として成長させて来なかった教育は今、子どもたちの不登校、引きこもり、無気力、暴走族など人間生活にとってマイナスのかたちになって強烈に現れ初めています。
 1952年前後から「創造美育協会」は子どもの内面から出てくる自分の意志による自己表現が感情の発達・成熟に欠くことの出来ないものであり、これが感情の教育だと言い続けてきました。「創造美育協会」は子どもの絵が単なる手先の器用さや表面的なこぎれいさや上手下手の問題ではなく、子どもの心の問題であることを研究し提唱し続けています。また、子どもの絵による自己表現とは、自立心とは、創造力とは何かを実践を通して探求してきました。
 この美術館は久保貞次郎コレクションによる日本と世界の児童画と北川民次のメキシコ野外美術学校・名古屋動物園美術学校及び僕の中学校での指導作品を掲載しました。


北川民次

 画家北川民次は1925年から1933年までメキシコ野外美術学校で思春期の美術教育を実践しました。世界の美術教育は思春期の表現の危機を乗り越えることができず、個人の表現力が衰退してゆく壁を越えることが出来ませんでした。北川民次はメキシコで独創的な理論と実践でその壁を超えることに成功しました。そのメキシコの子どもたちの作品はスペイン・フランス・ドイツ・イギリスなどで展覧会が開催され、ピカソ・マチス・藤田嗣冶などヨーロッパの芸術家たちから絶賛を受けました。
   戦後日本でも1949年8月から3年間、名古屋動物園美術学校を開催しました。そこから生まれた作品も美術の専門家や美術教育者さえもあらためて子どもの絵とは何か、美術とは何かを考えさせられるような創造的で力強い作品でした。それらは教育者や美術関係者に衝撃的な影響を与ました。
 世界の美術教育は2003年の現在でもこれらの子どもの作品を理解し越えることができていないように思います。これらの子どもの絵は何が子どもの絵であるかを、私達に教えてくれています。
 画家としても北川民次は日本では独特の個性をもった作品を描き続け光をはなっていました。彼の言う「美術には思想がなければならない」と言う言葉は重要な深い意味をもっていると思われます。



久保貞次郎

 美術評論家 久保貞次郎は1952年日本の美術教育を憂い、改革しようと考え、北川民次、瑛九、周郷博等21人の美術家・教育者・大学教授などを発起人として「創造美術教育協会」を設立しました。
 久保貞次郎は1939年アメリカ、ヨーロッパ17ヵ国を訪問し児童画を3000点余を収集して帰国し持ちかえり、それらの絵を開いたとき、日本の児童画とのあまりの違いに衝撃をうけました。これがその後1947年以後の日本の美術教育史上の大変革の一つになった『創造美育』運動の原動力になっていたと思われます。やがてそれは子どもの精神活動である絵の中の自由な自己表現。自立心とは?創造力のある子どもの絵とは?芸術とは?人間の精神的自由とは?と人間探求まで進められていきました。1952年から約10年間ぐらいは「創造美育」の運動を通して日本中の進歩的な保育園、幼稚園,小・中学校の教師はこれまでの美術教育者とは全く違う、子どもの意志を尊重し、表現の自由を保障し激励する美術教育に理解と実行力を示し、生き生きとしたそれでいて誠実な子どもの個性あふれる絵を生み出すことが出来ました。各地で開かれた子どもの絵の研究会や児童画展に並んだ子どもの絵の多くが楽しい集中力あるものが目立って多くなっていました。
 美術教育の先駆者久保貞次郎と「創造美術教育協会」の主張は子どもの絵の中と教師の精神の中に、そして共鳴した多くの人々の中に今も生き続けています。1997年彼の没後収集されていた児童画は10万点以上になっていました。ここに展示された久保コレクションと書かれているものは,彼の没後子どもの絵の収集作品を整理する時に選び残されたものです。今回世界と日本の子どもの作品の一部を久保コレクションとして掲載させていただきました。児童画から何を学ぶかを考え感じとっていただければ幸いです。
サパタ将軍

「サパタ将軍」 作者不詳(メキシコ)
北川民次指導作品



K川を渡る

 「川を渡る」 ビーゲット(ドイツ)
久保貞次郎コレクション



道

「道」 川崎満孝
高森俊指導作品


高森 俊(児童美術教育研究所 小さな原始人)
協力(子どものアトリエ 野の花・他)
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